セッション1ゲストトーク
- IBDとともに
私が脚本家を
続けられた理由 - 脚本家 北川 悦吏子 氏
- <北川悦吏子氏プロフィール>
- 脚本家、映画監督。
代表作は、「ロングバケーション」「ビューティフルライフ」
「オレンジデイズ」など。2018年にはNHK連続テ
レビ小説「半分、青い。」の脚本を手掛ける。
IBDと診断されて
IBDと診断されたのは20年ほど前です。人間ドックで見つかりました。そのときまで、IBDがどんな病気なのか全く知りませんでした。主治医からは、「完治はしないけれど、ほとんどの人は元気に暮らせますよ」と伝えられました。その後、病状は悪化し、結局、IBDと診断されてから10年目に大腸を全摘しました。
症状の程度は人それぞれですが、重症である私の場合は、耐えられないほどの痛みがありました。我慢できずに壁を蹴ったり、入院時には真夜中でも思わず「痛い!」と大声で叫んでしまうこともありました。元気な人に痛みを理解してもらうことは難しく、友達に「痛いってどういう感じなの?」と言われたときは、「本当に神様って不公平だな」と思いましたね。
病気になっても「書きたい」という強い思い
が消えることはなかった
IBDと向き合いながら仕事を続けるのは、本当に大変なことだと思います。周りに病気を理解してもらい、働きやすい環境を作るのは容易ではありません。私の場合、脚本家というフリーランスの特殊な仕事をしていますが、IBDと診断されてからも、「書きたい」ということを周りに言い続けました。「私は今、こういうものを書きたいと思っている」と、実際に書いたものを見てもらいながら思いを伝え、病気や仕事への向き合い方を相手に理解してもらうのです。相手の方もやっぱり人間なので情もありますし、自分の思いを伝えることは大事だと感じました。発病から20年あまりになりますが、「仕事で関わる人たちに私の病気を受け入れてもらい、その上でなお、一緒に仕事をしようと思ってもらうにはどうしたらいいか」を常に模索し続けているような気がします。
実際に、テレビ局やプロデューサーにとっては、いつ病状が悪化して入院するかわからない人間を脚本家に抜擢していいものか、判断が難しい場合もあると思います。それでも、自分の思いを伝えたり、私が倒れたら友人の脚本家に代わってもらうように頼んだりして、3年かかりましたが、NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」を実現させることができました。やっぱり無理かもしれないと何度も思いましたが、「絶対に諦めないぞ!」と気合で粘りました。そんな中、病気を抱えている私を評価して、「今の北川さんだからこそ、書ける世界がある」と思ってくださる方も出てきたことは、本当に嬉しいですね。
人生には夢中になれるものが必要
私は正直、IBDが怖くて仕方がありません。多くの方はそう過剰に怖がる必要はないと思いますが、私の場合は、大腸を全摘した後でも様々なトラブルが続いてしまい、精神的に追い込まれていた時期もありました。「治してくれる病院はないか」と全国の病院を探し回ったこともあり、その頃は本当に怖くて辛い日々でした。
そんなとき、病気の怖さを忘れさせてくれたのは、「脚本を書く」という仕事でした。入院していても、「この人を題材に書いてみたい」と思い立つと、その人の載っている雑誌などを買ってきては切り抜きをベッド脇に貼ったものです。次の脚本の構想を練ることで、病気に対する「怖い」気持ちを何とか乗り越えてきたのです。
IBDは未だに原因が特定されていない国の指定難病です。痛みや「この先どうなるのだろう」という不安と、人生を通じて向き合っていかなければいけません。しかし、そのことばかり考えていると精神的に辛くなってしまいますから、自分が健やかで穏やかな気持ちでいられるような、夢中になれる何かを見つけられるといいのではと思います。私にとってそれは脚本という仕事でしたが、人それぞれどんなことでもいいと思います。自分が病気であることを忘れられる「何か」があると、精神的にずっと楽になるのではないでしょうか。
弱音を吐ける相手がいると救われる
私は、病気による弱音も周りに話します。家族など自分に近い人に弱音を吐くと、お互い真剣に捉えすぎて辛くなってしまうので、友人に聞いてもらうことが多いですね。やはり、周りに話すことで気持ちが救われます。
「この病気になってよかった」とは言いたくありませんが、病気になったことで書けた脚本もありますし、病気を通じて得られたかけがえのない人間関係を思うと、「病気=悪いことばかり」ではないなと感じています。
IBDであることを公表することで、
多くの人を勇気づけられれば
娘が大きくなるタイミングを待ち、数年前、私は自分がIBDであることを公表しました。それまで、私の病気のことで娘が周囲から何か言われることを恐れ、公表は避けてきました。私自身も、世間から「健やかな人だと思われていたい」という気持ちがどこかにあり、公表に踏み切れなかったのだと思います。
公表にはもう一つ大きな理由があります。私は入院してベッドで横になりながら、病気と闘う人の「闘病記」をよく読みました。「この人は大変な病気をしたのに、今こんなに元気に仕事をしているんだ」と思うと、とても勇気づけられたのを覚えています。そして、次第に自分がIBDだと公表することで、たくさんの人を勇気づけられるのではないかと考えるようになったのです。実際、思った以上に同じ病気を持つ人からの反響が大きく、公表した甲斐があったと感じています。